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光陰矢の如し

みなさん、明けましておめでとうございます。昨日から新しい年が始まりました。

年が明けたのに昨年の話をしても仕方がありませんが、昨年は毎日がとても速く過ぎ去った1年間でした。

速く過ぎ去ったということは、日常生活が忙しかったからであり、それは日常生活が充実していたという証拠なんでしょう、と自分に都合よく考えるようにしています。しかし、それにしても月日の経つのが速すぎて忙しい毎日の連続でした。年々、月日の経つのが速くなっていると感じています。一昨年も、その前の年もそうでした。

こんな表現をすると、私が仕事のご依頼を「ヤマ」のようにいただいていて、いかにも仕事に追いかけ回されているような印象を与えてしまうかもしれませんが、そうではありません。勿論、仕事のご依頼をいくつかいただいているのは事実ですが、雑用、家事、趣味、女房や子供たちの世話(別に女房や子供の具合いが悪い訳ではございません)などに1日・1週間・1カ月の時間をほとんど費やしてしまっています。費やしても費やしても時間が不足しています。“こころ”の余裕がなくなっています。もう少し、時間の流れを遅くしてもらえないのか、とあり得ないことを抱きながら、1日・1週間・1カ月が「アッ」という間に過ぎ去っていったと感じています。

でも、よく考えてみると、46億年前に地球が誕生した頃は自転速度が今よりも速かったようですから1日や1週間はもっと短かったかもしれませんが、基本的には“かなり昔”から時間の速さは現在と変わっていないはずです。だから、時間の流れが速くなったと感じているのは勘違いなのです。そう感じるのは時間の活用の仕方を、私自身が「コントロールできていない」のが原因なのかもしれません。効果的・効率的に時間を活用することができず、時間の流れに「溺れてしまっている」私がいるのかもしれません。

多分、本年もそれほど「コントロールできない」まま、毎日が過ぎ去っていくのかもしれません。しかし、時間の経過は、まるで「飛んでいる矢」のように“がむしゃら”に力強く進んでいくものなのです。だから、その時間の流れを止めよう、遅くしようとしたら、「飛んでいる矢」に跳ね飛ばされてしまうだけです。当然のことですが、『時間というものの勢いは変えられない』ことをきちんと認識して『時間の流れの速さを認識して、私自身がその速さでも出来ることだけをしていけばよい』と悟ることなのでしょうね。今、1日でやっていること、1週間・1カ月でやっていることの量を少し減らすことなんでしょうね。減らしてみて、時間に追われることなど無くなると余裕ができる、ということなのでしょうね。

さらに、時間というものは、46億年前から現在まで「一本の線」のように隙間なく、切れ目なく進んできて、そのまま将来に向かって「一本の線」をつなげたまま進んでいくもののようです。本来は「1時間・1日・1週間・1カ月・1年」などという単位・区切りなど存在しないのです。

でも人間の知恵で、1月1日をスタート日にして、12月31日をゴールの日にする。46億年前からつながってきている「一本の線」に切れ目を入れることなくそのままにしたままで、無理矢理に1年を区切りのようにみなしているのでしょうね。

こういう「裏技」があるからこそ、昨年までの不始末があった人でも、新年にはそれらをリセットすることが出来るのです。1年の初めに全く新しい気持ちで「今年こそは・・・!」と誓うことが出来るのでしょうね。

皆さんは、今年はどの様なことを誓ったのですか?

2020.01.02
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